「家計簿をつける」ということ - その2
前回 は
- 「家計簿」は「家計管理」の一部
- 「家計管理」こそがやりたいこと
- 「家計管理」は「FIRE計画」の原資
ということを書きました。
今日は、また戻って「家計簿の話」を書きたいと思います。
「家計簿」は「家計管理」のどこを解決するのか
家計簿は「家計管理」のためにあると書きましたが、その「家計管理」の中では…
- 記録 ← ここのためだけ
- 分析
- 予測
- 計画
なんですね。
(中には「分析チャート付き」だったり「別集計表付き」とか、そういう市販の家計簿はありますが。)
たとえ「よっしゃ!家計簿つけだけはカンペキ!」となったとしても、それは「家計管理の一部ができた」だけです。
それ以降の行程に進まないと「記録しました」だけで「把握(分析の一部)すらしてない」と。
ただ「つけてるだけ」なんです。
なので、
「家計簿をつけること」自体には「大して意義はない」と僕は考えます。
と 前回書いた のです。
「家計簿をつける」だけで消耗してない?
急な自分語りなのですが、僕の父が借金魔であり、家に金があれば掠め、子供の貯金箱から金を盗むのも当たり前、という人格でした。
ということから、母は「家庭内の金置き場を分散」「口座等も分散」という対策をしており、「お金」の管理が複雑化していました。
結果的に「毎日家計簿をつけ、実際のお金と一致させる」という行為が、凄く高コストになり、毎日深夜まで作業していて、それでも「数日分レシートが溜まっている」という記入が追いつかない状態でした。
子供にも「管理の重要性」を教えるため、「小遣い帳」をつけることを教育しましたが、母自身がその状態なの「帳簿をつけることは面倒である」という印象を与えただけでした。
母は「記録」だけで消耗してしまっているため、「分析、予測、計画」へたどり着けていませんでした。
でも、これは「極端な一例」ではないのだと想像しています。
自分の観測範囲では「多くの人が”記録”だけに消耗してしまっている」「記録すら完遂できていない」ということを数人から聞いています。
これが「家計簿なんか付けても意味ない」論を補強しているのだと思います。
「家計簿」は「息する間に勝手に記録される」が理想
端的に言って、「記録」を満たすだけの「家計簿をつけるという行為」には、基本的に「時間をかけては損する」のです。
しかし「それをこなさないと次の行程に行けない」ため、必須は必須なので、悩みどころです。
また「記録」の段階でコストがかかり消耗してしまうようでは、その先の「分析、予測、計画」をやる気力を失い、おざなりにしてしまいがちです。
視点を変えて「じゃあ理想の姿はなんだろう?」ということを考えてみましょう。
できるなら、
- お財布の支出・収入を「勝手に記録」してくれる
- お財布も銀行口座もその他も「増えたら勝手に記録」してくれる
- 「現在の残高」を「リアルタイムで自動に集計」してくれる
のような…要は「自分は何もしなくても世界が勝手に記録してくれる」という状態を、僕は「理想」「そうあって欲しい」と思うのです。
これは「夢見すぎの絵空事」なのでしょうか?
「現状」に支配されすぎてはいけない
僕たちは「家計簿はこういうもの」「苦労しないと成果は得られない」という考えに支配されがちです。
でも、上記の「理想」を夢想し「もしかしたらそういうことが出来るのでは?」と模索してみないと、「理想への道」はいつまでも開かれません。
次回は「理想」はこの世界で実現出来るのか?の話を書きます。
本日の資産
-569,542
です。いったい何があったのでしょうか…。
- 消費税の予定納税:
-400,000
- カードの支払い:
-173,000
- 自動車保険:
-15,000
という感じで、立て続けに「約60万」の引き落としがあったから、ですね。
これはいよいよ「5000万円を元手に」ではなくなりましたね。
次のまとまった売上が10月末なので、いよいよ「11月から始まる44歳から〜」なタイトルを変更する時がきたかもです。